現在、9月14日、ハバナからトロントの飛行機の中にいる、
まとめ1を書いた時から6日たった。(9月14日)。正直この5日間は大変だった。
しかし、この5日間は本当にいろいろなことを考えさせられた。
第一にUniversal sence(日本語訳すると、世界的感覚)の大切さを一番考えた。
やはり自分が大学時代から思っていた通り、民間交流はこれからもっと大切になっていくのではないかと思う。人がこの地球という惑星の上で生活していく中、人間には世界共通の感覚というのが必ずある。
世界が協力していくことがこれから大切なのではないか、日本も産業の空洞化がすすむなか
ほかの国が何かあった時に、ヘルプしてあげる目、市民同士が交流していくことが大切なのではないかと思うのである。
前置きはさておき、
土曜日イルマが来る日からのことを少しお話したい
というのも、土曜日のまとめ1を書いていたあと、午後12時ごろ近所のおじちゃんがきて「二時ごろには海が家に来るらしい!」と報告に来てくれた、
なるほど、その後、電気は消え、水も止まった、何もない状態で、電気がないとこれだけ真っ暗さ、これからどれだけの嵐が来るのかも予想がつかず、私は怖くなった。
そんな時に、近所のおばちゃんたちが来て、夕食に招待してくれた、その日の夜は近所のひとみんなで、非常時のガスコンロをもつおばさんの家でソーセージが入ったパエリアと、少量のワインをみんなで小さな光を囲み、夕食を食べた、私に気をつかってくれたのか、私にはバナナもくれた。
風は強まり、窓は割れてしまうのではないかと思うほどきしんだ。その後、みんなでラジオを聴きながら様子を確かめた。
暖かいTeaをおばちゃんが入れてくれた。そして、状況になれない私に気をつかい、
大丈夫、大丈夫よ。と励まして、ずっとそばにいてくれた。その日、私の家も水につかる可能性があったので私は、近所のおばちゃんが私に家に泊まってもいいよといわれたので、泊まらせてもらった。空き部屋の部屋で寝た、、朝起きたらおばちゃんがソファで寝ていた、私にルームをくれたのか・・空き部屋と思っていた
馬鹿者自分
土曜、日曜、月曜、火曜、水曜と電気も戻ってこず、水も戻ってこなかった。
その中でもキューバの人たちはたくましく現実を見てせっせと働いていた、水浸しの家を掃除し、家具をほし、倒れた木を片付け、水をくみ、パンを買うために並び、工夫して食料を作り、ある人は自分で発電気も作っていた。
そして、外国人である私を輪の中にいれた、
私はというと、空港と家を毎日往復する羽目になっていた。
カサ(家)と空港、ホテル(充電、wi-fiのため)、つまり、キューバの人たちの世界と、ホテルなどの観光客(外国人)の世界を二つを見ていたのである。
キューバのカサのほうでは物資はないものの穏やかな生活が進んだ、あるものを工夫していた、おばちゃんは朝によくホットチョコレートを作ってくれた、ミルクはパウダー(脱脂粉乳のような)であったがおばちゃんが作るとすごくおいしかった、みんなよく働き前向きであった
一方空港はというとカオスであった、エアラインの情報がでない、予約がとれてもキャンセルされたりなどの日々が続き、人々は冷静さを失いまるで子供であるかのように、泣いたり、叫んだりしていた。空港では討論が続いた。
月曜日の朝ことである、空港に電気もなく人々がごった返した、情報もない薄暗いエアポートのなかに、たくさんの人が横たわっていた。私のフライトも月曜だったので一応空港に来たのである。
八時になりのろのろと職員が出てきた、第一声、「帰れ!」とかれは言った。
空港に何日も宿泊していた人もいたらしく人々はパニックになっていた、
職員はいった、
「キューバで電気も、水も、食料も限られているなか、どうして君たち観光客のフライトを飛ばせるのか?私たちはいま情報も何もない!帰れ!」といったのだ。
そのあと私はこの場所には何もないことを察知し帰ったが、この国の観光客と現地民の明らかなボーダーを感じた。
ホテルでは台風が来た後の月曜日からもうすでに電機も水も来ていて、人々は優雅にアイス入りのコーラやカクテルをラウンジで飲んでいた。
外のことなど本当に関係ないのだなと思った。
まとめ1でも書いたように、結局、先進国の人々は第三世界に行ったときであっても、自国の生活基準のなかでしか生きることができない。
彼らは市民交流などにも、その大切さにも興味がないのである。
私のフライトスケジュールはごたごたで私は水曜に出るはずだったフライトにのれず、エアカナダであったのだが、キューバのエアカナダのオフィスが機能していないのもあり、カナダ大使館の人に助けてもらいホテルに泊まれることになったのである。
私はチェックインを済ませ、カサの隣人のみんなにあいたかったので、ホテルから歩いて家を見に行った。
光が一時的に戻ったとみんな喜んでいた、おばちゃんが嬉しそうに私に冷蔵庫で冷やされた水をくれた。隣のおばちゃんは私が来たことを喜んでソーセージを一本くれた。
カサのみんなは暖かく、おばちゃんたちは何度も帰ってくる私を何度も向かい入れた。
おばちゃんが入れてくれる甘くて濃いコーヒーはホテルで飲むアメリカンコーヒーよりも断然おいしく、コーヒーをのみながら外のキューバの街並みをみるとキューバにはこのコーヒーがマッチすると思った。ホテルにはアメリカ系のビュッフェがあった、野菜や、肉、デザートたくさんあった、こんな食べ物キューバにもあったんだと目を見張った。
あまりにも違う環境であった。
ホテルに帰りアメリカや日本同然の不気味に整ったホテルルームをみると涙がでた、カサでは冷たい水を飲むことで大喜びしているのに、自分は結局ホテルにいるではないかと。
この国は違いすぎる。ホテルの部屋の冷蔵庫には、キンキンに冷えたビールや、水や氷そして、結局ホテルにつれてこられている自分は第一国からきている人間なのだと感じたのである。
今回感じた、ユニバーサルセンス(世界共通の感覚)大切さ。
普段、人は人を見るときにベールをかけている、それは日常にあるプロパガンダや、自分の生まれ育った環境から作り出されるものであると感じている。
今回のイルマの出来事の前、この国でそれを感じることも多かった、
外国人=お金持ち、お金持ち=悪者のような、
お金持ちがいるから自分たちが貧富なのだと感じているのである。
それだと、私という人物はなかなか見えにくい、ベールが邪魔して、私の本性が見えてこないのだ。
しかし、その中でも人間には世界共通のセンスがあるのを忘れてはいけない。
人を思う気持ちである。人を抱きしめたり、笑いあったり、どの人にも家族がいて、友達がいて、食べ物をみんなで食べあったり。一人の外国人でも、その場にいて、彼らのことを知ろうとし、笑い合い、本心を見せれば、彼らは私の外国人としてのベールをとりやすい。
それは市民交流のなかからしか見出すことはできないだろう。
政府関係のなかでの交流は私たち市民はテレビなどのフィルターを通すし、国際関係を見るとき、他国の市民を遠いものの存在として架空の人物のように扱うのである。
しかし、その人物がその場にいれば人間は目の前の人間を人として見やすいであろう。
今回私は、それをひしと感じたのである。
彼らは限られた物資のなか、外国人である私に、食料を与え、水を与え、そして私に情報を与えた。
私たちの関係は日に日に深くなっていった。
外国に入ることが簡単に入れる今だからこそもう一度考えたい、国の違いや世界の格差。
そして、その格差の奥にいる、人々の顔を。
外国にいくことをあたかも日本の東京DisneyLandにいくことと考えてはいけない、おおきな旅行会社がつくったファンシーなおまかせプランにまかせきってはいけないのである。日本とは違う、私たちとは環境も歴史もちがう、人たちの生活の中に足を踏み入れようとしていることを理解しないといけないのではないか?
ということを今回自分にも強く言い聞かせたことである。
そして、国の中に入る時にある程度の言語を理解すること、文化、歴史などを理解しようとすることが大切なのではないかと、今回思ったことである。自分の国の基準ではない、外国に行くということを知るべきである。
バックパッカーブームや、LCC、Wi-Fiの普及などいろいろ情報が手に入れやすく、世界が近くなっているからこそ、もう一度、その現実的な遠さを理解すべきである。
どれだけ、早くその国に行けることになっても、その国の理解はそんなに早くはできないのである。
そして、世界の情勢が動いていることを日本人としても自覚し、助け合っていくことが大切であると考える。
すべて、政府機関やUNなどの国際機関に任せてしまうのではなくて、自分で状況を判断できること、理解していくことが大切であると考える。
そして、真の市民交流こそが大切なのではないかと私は考える。
しかし、これは簡単ではない。私のような経験は、ラッキーというか運命的であっただけで、だれしもができることでもない。
しかし、政治情勢がみだれるなか、市民同士がもう一度人間としてのUniversal sencce(人としての交流)を確かめ合う機会を作ることは大切である。国のトップクラスでもない一般人が世界に近くなっている今、政府やビジネスだけに国の関係を任せていくのではなく、自分の目で見て、話して、共通点、異点を確かめ、自分の理解度のキャパシティを広げていくことこそ、世界とのより良い関係を気づいていく地道であるが、確実な鍵なのではないであろうか?
私にとっての考えであるが、私はいつも海外に行くとき、を自分の視野を広げること、文化の新たな理解に努めている、言語を学び、歴史、宗教を調べ、なるべくその国の一面を見れるように努めているつもりである。外国人として足を踏み入れることを承知しているつもりである。なるべく、遠い国の人というベールをとれるように、一人間として見れるように
、そして彼らの違いを理解してあげられるように努めているつもりである。
Universal Senceと文化やバックグラウンドなどの違い
そして、今回のキューバ滞在を通して、アートや文化には市民をつなぐ可能性を感じている。
どこの国に行っても思うことであるが、Artistは比較的、オープンマインドであり、好奇心旺盛である、彼らは人を人として見ようとする傾向がある、そして、心で人とつながることが得意なように感じる。
これからたくさんのアーテイスト同士の交流や、文化の交流が増え、アーテイストという比較的フレキシブルな人材が国と国の関係を結んでいくことは間違いないであろう。
そして、自分自身もたくさんの国の人とダンスやアートなどでかかわりあい、世界を小さな規模でもつなげていこうと強く心に誓ったのである。私は必ず、ダンスで世界をつなげる!今回、人々に支えられ、人間の強さを、暖かさを、幸福を噛みしめた、必ず、人間は素晴らしいものである、ダンスで世界をつなげて見せる!
これを読んだ人々もぜひ、もう一度、海外へ行くということ、これから世界について考えてもらえると幸いである。
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