土曜日、九月九日
私は八時に起床し、窓を開けると強い風が吹いていた、「あ、やはりクローン来てるんだな」と実感した。日曜の明日はきっとたいしたもの食べられないから、余ったペソで何かハムでも入った豪華なサンドイッチを買おうと思い。外へ出たものの、すべてしまっていた。大好きなタマリンドのフルーツジュースも今日はどこにも見つからなかった。
地元民のパン屋の前には人だかり、みんな最終準備でパンを買い占める。人々は、せっせせっせと非常食を買い集める。。そう、のんきに豪華なハムサンドイッチ食べてる場合ではないのだ。もう非常なのである、パンかじれるだけでもいいのだ。
外から見える各家族のテレビはハリケーンについてのニュースばかりであった。
市場にあった最後の肉を買い、パンはあきらめ家に帰る。
自分のなかの非常スイッチが入る、
朝ごはんのフルーツを食べ、いつものようにコーヒーを入れる
風の音がする、ごーごーと鳴っている。
携帯をみると、今日最後に会いに来てくれるはずの、友達がこれないとの連絡があった。少し寂しいが仕方ない。
火が起こせるうちに、肉を焼き、水が出るうちに、もう一度水を確保する、、
気持ちは冷静だった、
音楽は今日はいらない、ただただ、冷静に淡々と支度を進める、外では電話の音が鳴りやまない。
準備も整え、一人ちょこんと椅子に座り、外の風を見る。
キューバ、自分どうだったかなー?なんて考えた。
どこまでこの国のことを理解できたのだろうか、自分の短期間の外国人としての交流でもいろいろ考えさせられた、
NYではすごく奇妙にみえた、Whole Foodsのすごく機能的なレジスター、人が機能的にレジに運ばれ、淡々とレジを済ませるという一つの目的を終わらせていく。NYの買い物を全部ネットで済ませる感じや、ありすぎるほどのデリバリーサービス、Save your time, Save your time, Save your time, ご飯くらい自分で買いにいったり、作る時間作れよ、、と思うほどの、機能主義。
そんな、風景すらも今クールに思えるのである。
キューバのレジは遅いというか、遅すぎる、機能すらしていない、まずラインができてない、
それが外だったりすると暑すぎる。この国の一部の人々は働くことにパッションがない。観光客には彼らキューバ人はマスクをつけているかのようにニコニコとふるまう。観光客はあたかもここが最高のリゾートであるように思う。
しかし、実際はそうではない。
そんな生活をたった一か月しただけで少し疲れてしまった。
かといって、アメリカや日本のみんながみんなやる気があって働いているようにも見えない。
自分というやつはなんてやつだ
日本、アメリカ、キューバ、どこでも文句をいう、これだから競争社会は、これだから社会主義は、、などと。政治を批判したり、なんとなく賢いことを言いながら、、
自分はわがままというか、なんて未熟で無知なのだろうと今思う。
今回の滞在ですごくよかったのは、ある同い年の女の子に出会えたことだ。
彼女はすごく賢かった。大学ではJournalismを専攻していたという彼女、物事の見方が大変多面的であり、冷静、少しToo muchすぎるほどのクリティカル、しかし少しおっとり目で、すごく美人なのに、よく話し、表情豊か。
彼女のサポートなしに今回の素晴らしい経験はなしえない。本当に感謝してもしきれない。
彼女とはいろいろ話した、日本のテレビがすごく人気なこと、彼女は日本のことを本当にたくさん知っていて、日本にすごく関心がある。キューバは昔、アメリカとの関係を断った時、ロシアと日本の映画がたくさんあったようだ、人々は断然ロシアの映画よりも日本の映画やテレビを見るようになったという。なので、キューバは日本が思っている以上に、日本のことを知っているのだ。
お互いの育った環境、ジェンダーの話、歴史、など本当にたくさん話した。日本語で話しているかのように、笑いのツボもあい、すごく仲良くなれた。
はじめ彼女はあまり、深い話をしなかったが、お互いがお互いの話をしていくうちに二人の関係はオープンになっていった。世界情勢や、お互いの哲学の話、政治の話もするようになった、たまに彼女は怒ったように自分のことや、他国のことを話すことがあった。
感情があふれているのである、彼女の思うこと、感じていることはここではシェアできないほどではあるが、すごく彼女の会話から刺激を受けた。
ある日、私が彼女にそんなに思うことがあるなら何かに表現すればいいじゃないかと話した。
アートセンターで働く彼女であるが、そんな彼女の日々思う強い感情をアートに表せないかと提案した。
一つの作品案として、二人で「ユートピア」という作品を作ろうではないかと、Writingをしようと提案した。
それは別記で紹介するつもりである(現在編集中)
すごく深い話ができたと思う。
話は少し変わって
私、1992年生まれの24歳、
まだまだ未熟であり、6月にニューヨークのダンスプログラムを済ませ、留学終わりのふわふわした状態(ニートである)であるからこそ時間を持ち、考えられる、社会のこと、文化のこと、外国との関係のこと。すごく特別でなんて贅沢なのだろう。
日本の観光客にはたまに、Havana Viejaなどの観光スポットで出会うことができたが、何人かと話もしてみたが、長くて十日間、きっとすごく仕事を調整してきたのだろう、地球の歩き方片手に集団や、カップルで、時間の限りキューバをせっせと見ようとしている感じがした。
きっとたくさんのお金を払ってたくさんの経験を短期間でするのであろう。
もし、自分が5日ほどしかキューバにこれなければ、お金をはたいてでも、いいタクシーにのり早く場所へ移動し、疲れをいやすためにいい宿に泊まり、シャワーがいつでもでる、トイレットペーパーが十分にある場所を、列のない食事の場を選び、時間を節約してしまうだろう。当たり前である、大切な休暇の五日間を、お金をはたいて買った、航空券ではるばる日本からやってきてのんびり、列など待っていられない、なるべくなるべく経験しきらないと。地球の歩き方片手に、ツアーガイドとともに、なるべくこの国のことをできる範囲で経験しなければならないのである。
忙しい彼らにとって、列に並んで、灼熱の中歩き回ったり、ぎゅうぎゅうのバスに乗ることはきっと目的ではなく、少しでも日本とは違う「キューバ」という国を堪能することが目的なのであろう。
(批判しているのではない)そんな忙しい人々がどうして、世界の情勢など考えられるのか、国の違いや、文化の違いをどう、時間をゆっくり使い考えられるのか?結局私たちは母国のスケジュール化の基準の中に入れられ、どこへいってもその基準の中でしか生きにくいのである。
しかし、私は短期間でもやってくる日本の人々を本当に尊敬した、日本の人を見ていたが、熱心にツアーガイドの話を聞いていた。少しでも、異国のことを、世界のことを知ろうとしていた。なんで素晴らしいのだろう。もちろん、ヒップスターまがいの若者もいた、、。
世界は事実、不公平ではあるが、人々はそんなことにあまり関心などないし、真剣に考える必要も時間もない、自分の今生きる生活、ライフでいっぱいいっぱいなのである、
私はこのなんでもない贅沢な期間を利用し、お金もなく、自分のダンス復習のために低予算でやってきた、、日本に荷物シッピングなど思わぬ出費がアメリカで多く発生したため、この土地では、ほんとはそんなにしてはいけないのであろう、なるべくローカルの中へ入れてもらった。列はたくさん待った。そしてよく肌は焼けた。
バスはよく揺れすぎて吹っ飛ばされた。たまに、バスを一時間半待った。
食べ物はすごくおいしかった、たまに路上で販売されるジュースを飲むとお腹を壊した。
近所の朝ごはん屋さんは毎日行くと私の名前を憶えてくれ、昨日はどうだった、今日はどう?などいろいろ聞いてくれるようになった。
ドアをあけて、毎日練習していたから、近所ではダンサーがいると噂になり、人が通りがかる度に、「今日も踊ってるね!!」と声をかけてくれるようになった。
そんなこんなで自分の日本、アメリカ基準のスケジュール通りに生活するというのとは程遠い、生活ではあったが、毎日訪れる予期しない経験は私の人生を気楽にのんびりさせた。
言いたいのは、結局第一世界(先進国)に生きるものは、どこにいってもその生き方のなかで生きているのである、自分が生まれ育った環境がどれだけ自分の生活基準に影響しているのかは今回、身に染みたことである。
今回の滞在で自分の思う人生哲学、政治思想は崩れ、なんとなくどこに向かっているのかもわからなくなった。
自分も日本に帰れば、きっとその国の政策の中に埋もれ、忙しく、他国のことなどどうでもよくなるのだろうか?興味があっても5日ほどしかいけず、日本基準のお金でいろいろ経験しまくって帰るのだろうか?
自分、どうしたいのか?どうなりたいのか?
どうして国際交流が大切なのかという理由に、今アッパークラス(政治家やビジネス)の交流関係がドライ化する中、市民レベルの交流が大切なのだという考えからきているのである、しかし、それは難しいものでもある、事実格差があり、結局市民はその国が決めた生活基準の中でしかいきれないのである。世界は平等なんかじゃない、アンフェアさを理解し、人にものを与えていかなければならない
ぽつんと椅子に座り、なんとなくこのモヤモヤした感覚を聞き下ろそうとおもった。