地に足をつける幸福
私が最近、気を付けてること、それは地に足ついてるか、、もちろんこれは比喩である。私たちの足は地についている。
言いたいのは気持ちのことである。
人間の幸福や、生きる意味についてたまに考えることがある。正直人間とは地位や、名声に走りやすい動物なのだと思う。
ただ、これは個人的な意見なのではあるが、人に高く評価されるという幸福は人を浮きだたせて、地に足がつかなくなってしまうのだ。
もちろん、うれしい。人に認められるのは、本当にご褒美であるし、これがないとやってられない。
しかし、私にとって生きる意味などそこにはない、私が本当に噛みしめて感じる幸福は、自分のなかで何かがしっくりきた瞬間なのである。
私は、スタジオで一人こもるのが好きだ、(踊りを練習したり、踊りで遊んでみたり)その時に、たまに、自分の持っていたモヤモヤがクリアになったように感じる瞬間があるのである。はたから見れば、何もなく踊りも変わっていないようにみえるかもしれない、しかしなんとなく、自分のなかにストンとなにかが落ちて、納得したような気分になる。
その時の帰り道といったら、少し自信気に、なんとなくいつもよりきれいに見える夕日に感動して、自分の中にぐーっと熱いものを感じるのである。このとき私は、あーー、生きてる!自分!と納得し、スタジオから家までの帰り道の一歩一歩を踏みしめるのである。
これこそ地に足のついた幸福である。
評価されるとき私は注意する、、まるで、コーラを振った後のように喜びの感情が噴射している。それで、もちろん少し調子にのる、しかし、少し興奮を味わった後、ここでぐっとこらえて自分に聞くのである。これは、ケーキを与えられてるにすぎない、自分よケーキを食べるためにいきているのか?
人から得られる評価は、ご褒美のケーキのようなものにすぎない、(時と場合にもよる)
人間の幸福など定義できず、自分のなかからしか出てこない。
それは言葉にできない、自分だけの感覚なのではないだろうか?
人との不平を問う前に自分だけの幸福を、探したい
たまに、評価されて、浮足立って駆け回るのもいい、しかし、少し調子乗った後はまた、ぐっと重く構えて地に足ついて、しっかり人生を踏みしめなければならないと思うのである。
これはもちろん一つの幸福のアイデアにすぎない。