ダンス仲間と話していた時のことだ、、
「丹田を揺さぶって、動く。。」
「そこから子宮に響かせて音を体全体で感じる」など、、今日も白井ワールド全開についつい話してしまった。
ダンスをしていて、私はよく、感じる!!と思うことがある、これはオーガズムとも似てとれる感覚である、今日ついつい、「私はダンスでいつも感じる!」と言ってしまったのだ、、
一気に下ネタの雰囲気になってしまった。そういうことを意図していなかったのに、ついつい、流れに合わせて、私も盛り上げようと下ネタだよーー!なんて感じに流れをもっていって、場を盛り上げることに徹してしまった。。
家に帰って反省した。
何がって、下ネタではないし、感じる!ということが、下ネタにむずび付き、それで会話を盛り上げてしまったことに、自分のダンスに対する軽率な態度?になんとなく悲しくなったのである。
どうして、感じる→セックスネタ=下ネタなのか、、、
わからないけれど、ダンスって思いっきり体をひねって、伸ばして、縮めて、広げて、走って、息を吸って、はいてってそれを感情をこめて必死に、丹念に行っていくと、身体が覚醒されていくような感じになる。
あー!私はここに生きてるよー!!と声を大にして言いたくなる瞬間なのである。自分が生きてこの身体と確実につながったと思うのである。
それに、私はダンスが大好きで、大好きなものを行うことで、身体が自分に帰ってきて、感情を通じて動き出すその喜びがあふれるときにおこることでもある。
クラブでも音楽がかかって、ずーっと箱の中にこもってるとすごい心地が良くなってきて、うわーー!!と感じる瞬間もある。
きっと、私にはダンスだけど、みんな一人ひとり大好きなものを行う時にその感覚はあるのではないのでしょうか?
よく、NYのダンス仲間とはダンスはセックスであるとよく話していた。それは、下ネタの感覚でいっているのではなく、真剣に、言っているのである。
感覚を研ぎ澄ませ、音楽、自分の身体とConnectionさせて、最高の状態に持っていくのである。
そう、ただ、生きているのである、下ネタとは無縁の話である。
人間思いっきり生きて、自分の本当に魂がしたい!と思うことをすると、心から身体が喜び、覚醒する。
こう感じるのはセックスのオーガズムと似ているだけで、、そういう状況に自分をもっていけるなんてなんて幸せなことなのだろうか。
必死に生きる!という人間のすべての行為にたいして、人は下ネタだの、どうのこうのいうことなんてできない。
私は必死に生きる人が好きだ、美人でなくても、不格好でも生きる行為を行う人が好きだ。
生きる行為の中に生まれる行為に、に対して私たちは、それを面白い、なんていうことはできない!そして、軽率に行うこともできない。
必死に人間が行う行為はなんでも素晴らしい。
必死に魂で生きよう、己の気持ちに正直になってなんでも臨もう。そして、それがなんであれきっと感じている瞬間は美しいんだと思います。
今日も、明日も明後日も、全力でダンスで感じよう!ダンスだけでなく、みんな一人ひとりがもつ、自分が感じれる!ものをやってほしいなと思います。